IT企業向けのオンボーディング教材は比較的たくさんあります。コードレビュー、デプロイ、変更依頼など、文書にしやすい仕事が多く、教材を作る側もIT業界にいることが多いからです。一方、半導体工場、建設現場、配達や店舗を抱えるサービス組織の新人研修は、今も分厚いマニュアルと集合研修、そして先輩の隣で見て覚えるやり方に大きく頼っています。
First Runはもともと、Webサービスをつくる IT企業を舞台にしたオンボーディングRPGでした。最近、同じエンジンの上にマップを3つ追加しました。架空の半導体メーカー、ソルマル半導体のファブ。架空の建設会社ファーストストーン建設が手がけるマンション新築現場。そして、日本のある地方都市にある架空の生活協同組合、ひばり野生協です。
この記事では、ITのシナリオを他の業種へ移すときに変えなかったもの、変えたもの、そしてその過程で整理した「不正解の作り方」をまとめます。自社の業種に合ったオンボーディングや新人研修のシナリオを考えている人事・研修担当者、現場のリーダーに向けた記事です。
変えなかったもの:ゲームの骨組み
4つのマップは、同じエンジンと同じマップ構造を使っています。ニューゲームを始めると、まずどの職場で働くかマップを選び、名前、職種、キャラクターを決めます。そこから先の流れは、どのマップでも同じです。
- 職種は5つです。職種ごとにメンターがクエストを2つ、建物の中の同僚がクエストを1つ出します。
- 全職種共通のチュートリアルクエストが2つ、顧客や関係者のクエストが3つ、経営層の視点のクエストが2つあります。新しいマップ1つあたりのクエストは全部で22個です。
- 回答は優秀・良好・リスクあり・不十分の4段階で評価され、評価ごとに理由と学習ポイントが示されます。
- 間違えたクエストは復習ボードで再挑戦できます。
- インターンから始まり、その業種のマネージャー職まで昇進します。
骨組みを変えなかった理由は単純です。判断を練習するやり方は、業種によって変わらないからです。状況を読み、選び、理由を聞き、間違えたものを解き直す。この流れは、プロセスエンジニアにも宅配担当にも同じように効きます。変えるべきなのは、その上に載せる中身です。
新しく加えた3つの職場
ソルマル半導体ファブ
防塵服を着て初出勤する半導体工場です。職種はプロセスエンジニア、設備エンジニア、生産管理、品質・歩留まりエンジニア、新ライン立ち上げPMで、最終目標はラインマネージャーです。SPC異常への対応、LOTO、ホットロットとQ-time、歩留まり低下、顧客監査が主な場面です。
リバーサイド1団地 新築現場
朝のTBMで一日が始まるマンション建設現場です。職種は工事、工務、設備・電気、品質管理、安全管理者で、最終目標は現場所長です。雨予報の打設日、配筋検査前の打設プレッシャー、出来高をめぐる食い違い、監理の指摘、工期短縮の要請が主な場面です。
ひばり野生協
組合員が出資し、一人一票で運営する生活協同組合です。職種は供給(宅配)、センター運営、店舗、商品、組合員活動の各担当で、最終目標はセンター長です。班配達・個配と見守り、応答のない玄関、コールドチェーンの温度逸脱、アレルギー表示の欠落、加入の勧め方、赤字の配達コースが主な場面です。日本の生協の仕組みをもとにしているので、生協で働く方の新人研修にもそのまま置き換えて考えやすいマップです。
3つの会社と登場人物はすべて架空です。実在の企業のレシピ、数値、取引先の名前は使っていません。
業種を移すときに変えた4つのこと
1. 現場の言葉
ITマップの職種名や用語を他の業種の言葉に訳すだけでは足りません。新入社員が最初の1週間で実際に耳にする言葉を、そのまま使う必要があります。ファブならOOC、OCAP、MOC、LOTO、ホットロット、Q-time。建設現場ならTBM、打設、配筋検査、出来高、スリーブ。生協なら組合員、出資金、見守り、産直です。
用語をやさしい言葉に置き換えると、ゲームの中では楽になりますが、現場に出たときに覚え直すことになります。そこで、なじみのない用語はそのまま残し、状況説明とヒントで意味が伝わるように書きました。たとえばOOCのクエストのヒントは、管理限界が「工程がいつもと違う」というサインであることを示しています。
2. やり直しのきかない作業
どの業種にも、一度やったら取り消せない作業があり、判断の練習がいちばん必要なのもそこです。ITならデプロイやデータ削除がそれにあたります。他の業種では、次のように変わります。
- 半導体ファブ:ロットを次の工程に流すこと。異常のサインを見ても流せば、後続のロットまで同じ問題を抱えていきます。
- 建設現場:コンクリートの打設。打ってしまえば、鉄筋は二度と見られません。
- 生協:すでに届けた商品。温度が上がっていた冷凍食品や、卵の表示が抜けたクッキーは、組合員の食卓まで届きます。
新しいマップのクエストは、こうした地点の直前に多く集まっています。シナリオを作るときに、その業種のやり直しのきかない作業を先に書き出すと、どこにクエストを置くべきかがすぐに見えてきます。
3. 譲れない基準
現場職のオンボーディングには、判断の余地がない基準があります。安全、法令、そして組合員や顧客を守る約束です。これは判断を練習する対象ではなく、練習の土台です。
そのため、新しいマップのチュートリアル2つは、どれもこの土台を扱っています。ファブは初めての防塵服とガス警報、建設現場は初めてのTBMと保護具、開いた開口部、生協は「生協は誰のもの?」とコース表の個人情報です。最初のクエストで土台を見せておくと、その後どれほど効率的に見える選択肢が出てきても、土台を踏み抜く答えは正解になり得ないとプレイヤーにわかります。生コンに加水する選択肢、インターロックをジャンパーで外す選択肢は、どんな状況でも不十分です。
4. プレッシャーの声
判断が難しいのは、正解を知らないからというより、誰かが別の答えを急かすからであることが多いものです。そこで新しいマップの不正解は、たいてい現場で実際に聞きそうな声で登場します。
- 「もう一度測り直して入っていれば、そのまま次の工程に流していいですよね?」ファブの夜勤オペレーター
- 「とりあえず打って、書類は後で合わせよう。」建設現場の型枠の職長
- 「5分で終わりますから。」安全帯を掛けずに端部で作業していた班の職長
- 「初月の割引だけ言って、今日サインもらっちゃえよ。」加入案内イベントでの生協の同僚
ITマップでプレッシャーの出どころが顧客の要望とスケジュールだったとすれば、ファブでは出荷目標とホットロット、建設現場では工期と打設日程、生協では配達効率と加入目標です。プレッシャーの出どころを業種に合わせると、状況カードがその業種の人にとって本物らしく読めるようになります。
不正解の設計:正解はいつも「全部止める」ではない
現場職のオンボーディングシナリオを初めて作るとき、よく陥る落とし穴があります。安全と品質が大事だからと、すべての状況の正解を「作業を全部止めて報告する」にしてしまうことです。こうするとプレイヤーはすぐにパターンを覚えます。いちばん保守的な選択肢を選べばいい、というパターンです。それは判断の練習ではありません。
First Runの新しいマップでは、過剰な対応をリスクありとしています。
- クレーンのヒヤリハットの後、原因調査とは関係なく現場全体の作業を1週間止める:リスクあり
- 配筋検査で指摘が出たので、その日の打設をすべて中止し、報告は翌日にする:リスクあり
- 顧客サンプルをホットロットにしてほしいという依頼を、先入れ先出しの原則を理由に断る:リスクあり
- 本部の配達効率の目標を、現場を知らない数字だとして無視する:リスクあり
優秀の回答は、ほとんど同じ形をしています。止める範囲を決め、知らせるべき相手にすぐ知らせ、次の道筋をつけます。配筋検査のクエストで優秀となるのは、指摘区画を手直しさせて再検査を依頼しつつ、生コンの出荷をいったん止め、全体を延期するか承認された位置で分割打設するかをチーム長・監理と決める回答です。止めはしますが、必要なぶんだけです。
良好と優秀の違い
新しいマップを作る中で、繰り返し現れたパターンがもう一つあります。良好と評価される回答は、たいてい危険を自分ひとりで片付けて終えた回答です。
- 開いた開口部の蓋を自分で元に戻し、特に報告せずにそのまま行く:良好。危険は減りましたが、なぜ蓋が外されていたのかは誰にもわかりません。
- 組合員の電話番号を尋ねるご近所の方に「個人情報なのでお答えできません」とだけ言って離れる:良好。情報は守れましたが、その方が何を心配していたのかはセンターに伝わりません。
- 加入案内イベントでパンフレットだけ渡し、興味があれば連絡してくださいと伝える:良好。無理な勧誘は避けましたが、出資金や脱退の方法を説明する機会も逃しています。
どれも間違った行動ではありません。ただ、その場で終わっています。優秀の回答は、報告して原因が直るようにするか、相手が自分で判断できるだけの情報を渡します。新人に最初に期待されるのが「ひとりで解決すること」ではなく「正確に伝えること」だという点は、業種が違っても同じでした。
業種別オンボーディングシナリオのチェックリスト
- 新人が最初の1週間で耳にする用語をそのまま使っているか
- その業種のやり直しのきかない作業を先に書き出したか
- チュートリアルで譲れない基準を最初に見せているか
- 不正解が、現場で実際に聞きそうなプレッシャーの声で書かれているか
- 過剰な対応の選択肢を、正解ではなくリスクありにしているか
- 優秀の回答に、止める範囲・知らせる相手・次の道筋がそろっているか
- 良好と優秀の違いがフィードバックで説明されているか
- 実在の企業の数値、取引先名、レシピが入っていないか
- 法定の安全教育や現場のSOPの代わりになると誤解させる書き方をしていないか
業種別にもっと読む
半導体ファブのマップを職種ごとにまとめた記事は半導体の新人研修シナリオ、建設現場のマップは建設現場の新人研修シナリオにあります。生協のマップは生協の新人研修シナリオ、3つの職場に共通する報告の習慣と管理職の判断はヒヤリハットを隠さない新人研修と新任管理職研修のシナリオで扱っています。引き継ぎ、根本原因分析、変更管理といった現場の品質の習慣は、引き継ぎができる新人研修、なぜなぜ分析の新人研修、変更管理の新人研修で続けて読めます。自社の文書からシナリオを引き出す手順は、社内Wikiをオンボーディング用クエストに変える5ステップを参考にしてください。
おわりに
業種を移す作業でいちばん時間がかかったのは、用語の翻訳ではありませんでした。その業種でやり直しのきかない作業は何か、誰がどんな言葉で急かすのか、新人にまず何を期待するのか。この3つを整理することでした。ここが固まれば、状況カードは比較的早く書けます。自社の業種のシナリオでカスタム版を作りたい場合は、お問い合わせページからご相談いただけます。
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